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1117 生徒総会

 「感謝」について    3年生の感想より

「恩返し」なかなか奥深い言葉。

 感情が伴わなければ意味のないもの。行動が伴わずとも感情があれば意味があるのだろうか。〇〇さんが言うように、感情だけでは何も変わらない。

 〇〇先生からの話を聞いた。「感謝」という感情がいっぱいあるから、人はそれを行動にして発散する「好き」が抑えきれなくなって、告白するが如く。つまり、「感謝」がなければ、「恩返し」という行動にはつながらない。「仕事」は、社会に「恩返し」すること、と定義すると、感謝できない人は仕事ができない、ということになる。

 掃除は、目に見える最も分かりやすい「恩返し」と捉えることができる。廊下を通っているときに、ホコリが落ちていたらスッと拾って、スッとゴミ箱に捨てるんです。「私っていいやつだな、えっへっへぇ」と思う。”埃”が”誇り”に変わる瞬間。

 「すずめの戸締まり」を見て、「挨拶」ってすごく尊いものだな、と思った。「行ってきます」「行ってらっしゃい」「おかえり」「ただいま」「おはよう」「おやすみ」「久しぶり」。その一言に「日常」が詰まっていて、その一言は「他愛のない愛」でできている。〇〇さんの「おはよう!」を聞ければ、今日が絶対的にハッピーな日になる、と確信している。私もそんな挨拶がしたいし、朝の校舎前がそんな挨拶で溢れかえればいいな、と思う。

 〇〇さんが言った。「『校舎前の一礼』って、『ご飯の前のいただきます』と同じ。『ご飯の前のいただきます』は恩返しにならない」という言葉。いいこと言ったな、と思った。「ご飯の前のいただきます」は、目の前の食べ物に「生命」を感じていますよ、あなたの存在を知っていますよ、と言っているのと同じだと思う。それだけで、たった耳かき一杯ぐらいのことかもしれないけど、お盆の上にあった生命が少しは報われるのだと思う。「いただきます」があるのとないのとでは、全然違う。
 「挨拶」も似た意味を持つ。すれ違った人に「こんにちは」というのは、私の世界にあなたは存在していますよ、あなたは私の世界にしっかりと生きていますよ、と言っているのと同じ。挨拶をせずに通り過ぎると、嫌な「孤独感」「疎外感」を感じる。

 

 校舎前の一礼は、僕にとってセーブ地点のようなものなのだと思う。礼の行動はあまり大事だとは思っていなくて、あそこでしっかりと立ち止まること。あそこだけは時間の、周りの空気の粒子の流れを遅くして、しっかりと呼吸をする。早歩きしないと置いてかれてしまう世界の中で、あそこだけはしっかりと立ち止まる。校舎に感謝すべき「一礼」、自分のためのセーブ地点、そんなわがままな使い方でもいいと思う。