私の感動した理由
14年ほど前に、松岡中学校に2回目の赴任をしましたがありました。
そのとき、松中には「松中LOVEクラブ」が存在しました。
構成メンバーは私含めて4人
ルールは3つ
①通学路を掃除する。 ②7:20~7:40 無理はしない
③掃除の理由を聞かれたら 「松中が好きだから」以外は答えない。
掃除をしていると「ありがとう。」という声が多く聞かれたことを思い出したのが感動の大きな理由です。
その「ありがとう」には「感謝、思いやり、ねぎらい」+絆(松中生としての絆のような) 仲間意識、
松岡中学校を大切にする心が芽生えたような気がします。その時間に私が感謝をしていて、「ありがとう」は私にとって特別な言葉に感じるのかもしれません。
「ありがとう」が当たり前に、「おはようございます」くらいの当たり前になると、その集団は温かい気持ちに包まれるのだろうなと想像させていただいたというのか大きな理由です。
みなさんの感想を読んで、多く感じ方があり、今まで一人一人の生き方・経験で受け取り方がかわることを感じ、素敵だなと思いました。言葉は発信する人、受け取る人で変わることを知ってもらいたかったのも今回話をした理由の一つです。
【生徒の感想より】
・ありがとうございます、と言う言葉にはいろいろな感謝の意味が込められていたから?例えば、「松中坂を綺麗のしてくれてありがとうございます。」「挨拶をしてくれてありがとうございます。」などいろいろなありがとうを感じたからだと考えます。
・ありがとうを言って欲しくてやっているを気じゃないけど、ちゃんと生徒の人たちに届いているんだと思ってやってよかったなと思ったから。
・「ありがとうございます。」と言われて、人に感謝を伝える、労えるようになっている、礼の心が受け継がれ、伝えることまでできるようになっていることに感動したのだと思いました。
・いつでも誰にでも「ありがとうございます」と素直に言えるのは大切だと思っているから。
・お疲れさまですなどの人事ではなく自分たちの学校を綺麗にしてくれてありがとうという意味に受け取ったと思いました。
・生徒が松岡中のことを誇りに思っているから
・私なりの考えですが、ありがとうございますは漢字に変換すると、「有り難う御座います」と表記されるので、先生が草刈りをしているように、大人の方々や魁人が居たからこそ今歩む道が見えている、過去の歴史や出来事がなかったら、“今”というものはある事が難しかったかもしれない。その綺麗事だけでは済まされない“過去”があり“今”という場所に座る事ができている。という事なのではないかと思います。
・心の中で感謝の気持ちを持つことができるほとは沢山いるけど実際に言葉を口にして相手に伝えることができる人は多くないから。周りの人は誰も感謝の気持ちを伝えていなかったけど、その生徒だけは感謝の気持ちを口で伝えてくれたから。
・日本人は礼儀がよく上品だと前、テレビでみました。例えばバスで自分が座っていてお年寄りが乗ってきたら多くの人は譲ると思います。けどそれを実行するまでが日本人らしさが出てしまっているんだと思います。私でもバスで譲りたいけど、例えば「そんな老けて見えるか‼️😠」とか「大丈夫だよ☺️」など怒られたり断られたら恥ずかしく思ってしまいます。それを譲る前に考えてしまう癖があります。なのでこのありがとうございますと言った子は凄いと思います。私だったら思っててもすぐには言えません。集会のときに日本人のことや沢山のことを調べて教えてくださいます。なのでこのようなことを理解していたからこそ感動したんだと思います。
・ちゃんと言葉にして伝えてくれる人が、まだこの現代社会にいたことをしれたから。
・学校のためにしてくださっていること
・生徒は僕たちのいつも通る道を綺麗にしてくれてありがとうだと思う・自分が、趣味ややりたくてやっていることに対して「ありがとう」と感謝されると、自分がやりたくてやっていたことでも無意識のうちに周りに利点がはたらいていると思ったからだと思いました。また、周りの人は言っていないけど、自分から、感謝の気持ちを伝えようとしてくれたことが嬉しかったこともあると思います。
・朝早くから学校のためになることをやって、それを理解してくれたから。
・草を刈って綺麗にすることで、松岡中学校の印象をUPできるから「ありがとう」
・その人もこの草邪魔だと思ってたんだな。・自分が気になったからしていただけで、お礼をされるとは思っていなかったから。例えば、家族共有の机が汚いなと思って机をきれいにしたら、ありがとうと家族に言われるのと同じ感じだと思います。
・言われると思っていなかった。こんなストレートに感謝を伝える事ができる人が松岡中学校にいる事が嬉しかった。
・学校周りの掃除を「誰かがやってくれる」ものではなく「誰かがやらないといけない」ことだという、学校に対して責任を持っていることからの「ありがとうございます」に感動した、と考えました。
・自分ごととして受け止め感謝の気持ちを伝えていた。
・学校は私たちも使っているけど、外はなかなか掃除ができないので感謝した。
・ほとんどの生徒は挨拶して通り過ぎるけれどその生徒は「ありがとうございます」と当たり前のようにいってくれてこの生徒は日々感謝を伝える人なのだと思った。